2017
12.12

【F1】2017年F1の結論:F1テスト、若手ドライバー

F1

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F1-Gate.com

【動画】 2017年 F1オーバーテイク ベスト10

[F1-Gate.com] – 12/11 21:20

F1公式サイトは、2017年のF1世界選手権で行われたオーバーテイクのファン投票を実施。F1アゼルバイジャンGPでのダニエル・リカルド(レッドブル)の3台抜きが2017年のベストオーバーテイクに選ばれた。
ダニエル・リカルドは、バクーのメインストレートでトーを使… 続きを読む


F1とインディカーシリーズ

[STINGER VILLAGE:モーターレーシング・ブログ村] – 06/06 21:17

◆いつだったか、プロレスは八百長だ、という意見に対して、アントニオ猪木が、「いつでも勝負してやる!!」と息巻いたことがあった。まったく意味なし。猪木が強いに決まっているので。◆しかし、八百長、と言った人は、言葉を間違えた。プロレスは、興行として分かりやすくするために、大げさに表現するわけで、それを八百長というのはちょっとお門違い。猪木がムッとするのも無理はない。◆ボクシングとプロレスを比べると、ボクシングの方がストイックで、まぁ、本物そのままで、プロレスは脚色がある、というようなことだと捉えると、F1とインディは何となく似ているような気がする。◆F1は、自分でマシンを作るコンストラクターにしか参戦権がない。インディは、市販のクルマで出られる、という根本的な成り立ちの違いがある。両者を、イコールコンディションうんぬんと区分けする考え方もあるけれど、これはあまり意味がない。そもそもF1とインディカーは、イコールコンディションのとらえ方が違うからだ。◆インディカーは、できる限り同じ条件に揃えて戦わせる、という考え方。対するF1は、規則を決めてその中で戦わせる、という考え。F1の規則は、”できる限り同じ条件”にするためではなく、範囲を決めるだけ。力のある者が勝つ、という考え方だ。ヨーロッパの階級社会が投影されるするモナコGP。◆ヨーロッパの階級社会と、アメリカの公平さのとらえ方の違いのような思考回路が根底にある。インディカーはGパンとTシャツの気軽さがあるけれど、若干安易なイメージ。F1はタキシードのかっこよさとそのための堅苦しさがある。というようなことだろうか。◆シリーズの格調で言うとF1が上と思うが、ドライバーが楽しめる、という視点ではインディカーが上かも。◆そうした細かな分け方もできるけれど、何はともあれ、インディ500はあらゆる意味で別格。モナコも別格だが、さらにインディの方が異次元の世界と私は感じている。◆さらに、WECの中でル・マンが特別だが、インディカー・シリーズのインディ500の”別物度”は桁違いだ。アメリカ人はなんでも自分たちが一番と思っているので、アメリカだけでやっている野球を平気で”ワールドシリーズ”と言っちゃったりしているけれど、インディ500だけは、観客の数だけでなく、世界最大のモーター……


ぶつかるのは、迫力があるんじゃなくて、おバカなだけだ

[STINGER VILLAGE:モーターレーシング・ブログ村] – 05/21 20:32

写真は数年前のイメージです。フェイスブックに”TAKI”こと井上隆智穂さんが、久々にスーパーGTの表彰台に上がったNSXを名指しで、以下のようにコメントした。—-皆んなを代表して言ってみる(汗)。「ホンダさん、シーズン中にレギュレーション変更までして手に入れたポディウムはどんな気持ちですか。教えてください。」—-これを見て、国内にあまりいらっしゃらない井上隆智穂さんは、表層しかご存じないと思いつつも、指摘は非常に鋭かったので、注意して反響を拝見しつつ、コメントをお届けした。中には、ホンダの姿勢が恥知らずだとの指摘があったので、それには、こう反応した。↓それが彼らの普通のやり方ですから。存在が恥知らず、というなら、ありかもだけれど、日本で人気を出そうとしたら、あれしか方法がないm(_~_)m。—-そもそも、スーパーGTは、勝ったらウェイトハンディを積むという、闘いを根底から台無しにする決まりが定着している。それは、マクラーレンが参戦していたときに、ロン・デニスからそんなバカなことがあるのか、と質問された友人の話を持ち出すまでもなく邪道と思うが、詰めかけるお客さんの多くには、そんなことより、”迫力ある熱戦”(大汗)が見られる方が大事なので、まぁ、それはいいとしておくが、問題も出る。邪道を野放しにしていい気になっていると、『世の中、必ずどこかでバランスが取れる』という事態にそのうちなるからだ。今日(5月21日)のオートポリスでの第3戦を観ていても、品のない当たり当てられが驚くほど連発したが、どうやらそれを当事者も周囲もよしとしているというか、”迫力ある熱戦”としてむしろ歓迎しているとも取れるムードが気になった。モーターレーシングは、クルマの闘いであって、ぶつけあいではない。高度な知能の闘いの場であることを、この辺りでみんなでもう一度思い出しておかないと、どこかでバランスが取れて残念なことになるんじゃないかと、気が気じゃないのである。photo by [STINGER]


恩師、フランコ・リニの思い出・その1 ミレミリアのイマジネーション

[STINGER VILLAGE:モーターレーシング・ブログ村] – 04/12 11:00

間瀬明さん(中央)の写真集『わたしは勝った夢を見た』(※)の完成時。左に座っているのがフランコ・リニさん。フェイスブックのSTINGER CLUBにアップされたタルガフローリオの動画を観て思い出した。今のWEC(世界耐久選手権)の前身であるスポーツカー耐久シリーズとして、シチリア島で行なわれた。ル・マン24時間などとともに、1960年代から1970年代にかけて、もっとも憧れた公道レース。同列の憧れとして、イタリア全土を縦断するミレミリア(1000マイル)を思い出し、連鎖的に故フランコ・リニさんを思い出した。イマジネーションの話を教示してくれたイタリアの重鎮ジャーナリストだ。「ミレミリアは1948年から観ているけれど、情報がラジオしかなかったんだ。ラジオの前で、一生懸命、聴いていると、頭がイマジネーションでパンクしそうになる。そうなったところに、赤いフェラーリが、バキュ~ンと家の前をすっ飛んでいくんだ。興奮するなというのは無理な話さ」。この話をしてくれたのは、イタリアGPのフリー走行の時。メディアセンターでタイミングモニターを見上げていた私を見たフランコが近づいてきて、私の肩をもみながら、”マサミ、情報がたくさんあって、すばらしいね”と言う。ちょっといやな感じがしたが、そこで、ミレミリアのイマジネーションの話をしてくれた。データじゃなくて、イマジネーションを大切にしなさい、というのがフランコの教えでした。データを観るなら家でテレビを観ていても同じだ、と。翌日、ダフ屋を見つけてチケットを買って、スタンドからレースを観た。せっかく現地にいるのに、”ホンモノ”を見落としっ放しだったところを、救ってくれた、フランコ・リニさん。そういう意味で恩人だ。(その2につづく)※『わたしは勝った夢を見た』間瀬明さんにお願いして、F1ドライバーの”目”を集めた写真集。アマゾンで買えると思います。



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